「√(ルート)の法則」による情報浸透の数理的理解

コミュニケーションにおいて「√(ルート)の法則」と紹介されているものがある。社長に必要な法則 - 日本経済新聞 である。 これを応用して情報浸透を数理的に捉え、いくつかのマネジメントのプラクティスを説明できるのではないかということでシミュレーションをしてみた。

「√(ルート)の法則」

改めて、今回の「√(ルート)の法則」とは、物事を集団に理解してもらうために最低限必要な説明回数の目安(「意訳」)である。例えば、100 人に理解してもらうには 10 回、 10,000 人に理解してもらうには 100 回の説明が必要になる。

身近な例に当てはめれば、チームのリーダー・マネージャーがチームに何かを説明してもなかなか伝わらない、浸透しないという話や悩みに合致する。同じ話を同時に聞く人が多いほど自分への着目が減るので集中して話を聞かなくなるとか、一人ひとりの理解へのケアが薄くなるとか、捉え方が多様化するとか、様々な背景があるだろう。

この悩みを解消するには、「壊れたテープレコーダー」のように同じ話をするとか耳にタコができるほど話すとかしつこいくらい話すとか、何度も繰り返して説明することが推奨されていると思う。

「√(ルート)の法則」を踏まえた情報伝達の難化のイメージ 「√(ルート)の法則」を踏まえた情報伝達の難化のイメージ

「√(ルート)の法則」を数式で示す

「√(ルート)の法則」の構成要素を分解してみると、「集団」・「理解(度)」・「説明」・「回数」というワードがある。これをそれぞれ数式として表したい。

「√(ルート)の法則」の構成要素 「√(ルート)の法則」の構成要素

「√(ルート)の法則」が社長の、かつ、社員に物事を伝えるための法則として紹介されていることから、今回は均一なピラミッド構造の組織を考えることにする。

「集団」

物事を「説明」するということは、「説明」をする人(上司)と「説明」を受ける人々(部下・直属に限らない)が存在することになる。

階層数を ll とし、すべての階層を LL とする。また、ある階層の人物を pxp_x とする。上の図では、 l=2,L={0,1},p0=1,p1=3l = 2, L = \{0, 1\}, |p_0| = 1, |p_1| = 3 となる。

「説明」・「回数」

「説明」そのものも数式にする。「説明」は後述の「理解度」を変化させるものと考える。「説明」をする人は、物事に対する自分の「理解」を踏まえて、「説明」を受ける「集団」の物事に対する「理解度」を増やす。

ある説明を axPa_{x \rightarrow P} とする。ここで、xx は「説明」をする人、PP は説明を受ける「集団」である。また、初期状態からの一連の「説明」を AtA_t とする。なお、「説明」の「回数」ではなく「説明」の順番によって「理解度」は変わる。上の図では a0{1}a_{0 \rightarrow \{1\} } を行っている。また、3<2\sqrt{3} < 2 であるから a0{1}a_{0 \rightarrow \{1\} } を 2 回行うことで p1p_1 が完全な「理解」に達する考えられる。

「理解度」

物事を「説明」するベース、もしくは、「説明」によって変化が起きるものとしての「理解度」を考える。

ある階層の人物の「理解度」を 0.0ux1.00.0 \leq u_x \leq 1.0 とする。これは初期状態からのすべての「説明」の結果であるため、実際には uxAtu_x^{A_t} となる。

ax{y}a_{x \rightarrow \{y\} } によって、uyu_y は(基本的に) 1yPpypx\frac{1}{\sqrt{\frac{\sum_{y \in P}|p_y|}{|p_x|} } } 増加(加算)すると仮定する。上の図では、部下の 3 人は 1 人の上司から「説明」を受けたため、「理解度」が 1310.577\frac{1}{\sqrt{\frac{3}{1} } } \fallingdotseq 0.577 増加することになる。

さらに、「説明」する人の「理解度」によって「説明」を受けた「集団」の「理解度」の上昇度が変わる仮定を入れて uxAtyPpypx\frac{u_x^{A_t} }{\sqrt{\frac{\sum_{y \in P}|p_y|}{|p_x|} } }、「説明」を受ける「集団」の「理解度」を「説明」する人の「理解度」以上にすることはできないこと、「理解度」が下がることはないという 2 つの追加の仮定を入れると、最終的に uyAt+1=max(uyAt,min(uxAt,uyAt+uxAtyPpypx))u_y^{A_{t + 1} } = \max(u_y^{A_t}, \min(u_x^{A_t}, u_y^{A_t} + \frac{u_x^{A_t} }{\sqrt{\frac{\sum_{y \in P}|p_y|}{|p_x|} } })) となる。

※ 考慮外にすること

  • 加算でなく乗法による「理解度」の深まり
    • 1 度の「説明」で 21yPpypx2^{\frac{1}{\sqrt{\frac{\sum_{y \in P}|p_y|}{|p_x|} } } } を「理解度」に乗算するモデル
    • 簡単にシミュレーションしてみたところ結果に大きな差異はなかった。
  • 「理解度」と説明力がイコールでないこと
    • 例えば、半分の「理解度」では説明ができないが、「理解」を深めるとようやく説明にできるようになるという状況設定。
    • 簡単にシミュレーションしてみたところ結果に大きな差異はなかった。

3 階層組織でのシミュレーション

2 階層ではシミュレーションするまでもないため、3 階層の組織をモデル化してシミュレーションを行う。

シミュレーションの設定

以下のような組織構造を考える。トップ(社長)から全社員に物事を伝えるべく「説明」を行う。3 階層の組織の場合は、トップ(社長)から直に全員に「説明」するだけでなく、トップ(社長)から中間層(マネージャー)だけに「説明」したり中間層(マネージャー)から末端(メンバー)に「説明」したりできる。

シミュレーションする組織のイメージ(数は異なる) シミュレーションする組織のイメージ(数は異なる)

なお、上の図では 3 人の中間層(マネージャー)と 9 人の末端(メンバー)が描かれているのは図の都合で、「説明」の順番による結果の違いをわかりやすくするよう実際は 10 人の中間層(マネージャー)と 100 人の末端(メンバー)でシミュレーションを行っている。

数式として表すと、「集団」は l=3,L={0,1,2},p0=1,p1=10,p2=100l = 3, L = \{0, 1, 2\}, |p_0| = 1, |p_1| = 10, |p_2| = 100 となり、「説明」の種類は a0{1},a0{1,2},a1{2}a_{0 \rightarrow \{1\} }, a_{0 \rightarrow \{1,2\} }, a_{1 \rightarrow \{2\} } の 3 つとなる。

シミュレーションの方法

Jupyter Notebook にて Python プログラムを作成した。GitHub に置いてある。このコードは、木構造への幅優先探索+枝刈りと Graphviz による結果の可視化を行っている。

シミュレーションの結果

上記のプログラムの実行結果・可視化結果の一部を以下に示す。幅が広すぎるため PNG 画像としては一部しか掲載していない。「集団」の全員が完全に「理解」した状態、つまり終端を灰色にしている。必要であれば、完全な実行結果を示す SVG 画像を参照いただきたい。

シミュレーション結果の一部 シミュレーション結果の一部

回数少なく終端に達したような効率の良いパターンをピックアップすると、a0{1}a_{0 \rightarrow \{1\} } を最初に何度か行っている。つまりトップ(社長)から中間層(マネージャー)に絞って説明している。その後で a1{2}a_{1 \rightarrow \{2\} }、つまり中間層(マネージャー)から末端(メンバー)に説明している。

数式やシミュレーションからわかること

以下のような考察に至った。

本当に何度も「説明」しなければならない

「√(ルート)の法則」として表現されているように、本当に何度も「説明」しなければ伝わらない。

  • 一度の「説明」による理解度の向上は低い。
  • 組織の長は伝えるのが仕事であり、絶えず伝えなければならないのだろう。

難しくても「集団」に説明することが重要

一人一人個別に「説明」するよりも「集団」に「説明」するほうがアクションが少ない。

  • NN 人に「説明」すると必要「回数」は NN 回、NN 人全体に「説明」すると必要「回数」は N\lceil \sqrt{N} \rceil 回。NNN \geq \lceil \sqrt{N} \rceil
  • 伝わりやすいからと言って個別に伝えていては組織の長の手間や時間がかかる。全体への伝わりにくい方法であっても効率が良い。

中間層(マネージャー)の「理解」が重要

中間層(マネージャー)が「説明」を行える場合には、中間層(マネージャー)の「理解」が大きな影響を持つ。

  • 「理解度」が低い状態での「説明」には効果が無い。
  • 中間層(マネージャー)に絞って伝えたほうが、最終的に必要な「説明」「回数」が少ない(=伝達が速い)。

これらは現実世界の中間管理職の役割や行動による効果と合致する。

  • 中間管理職は経営層の意図を砕いて現場に浸透させる。パイプ役になる。
  • 管理職向けに開催される会社の MVV を集中的に伝える研修を行う。
  • 全社員向けの「説明」の前に管理職向けの「説明」を設ける。
  • 階層構造と中間管理職を設けることで全体の「説明」「回数」が減り、かつ、浸透速度(=回数)も速い。

展開・応用

より現実世界の構造やダイナミクスに沿った数式化やシミュレーションや情報伝達以外への適用として、情報の双方向・多方面化、より実際的な組織構造、モデルの変化などの改良が考えられる。以下にそのメモを示す。

(分量が多くなりすぎたのでトグルの中に…)
  • 階層組織の情報流通(双方向化)
    • 経営と現場をつなぐという話は、現場から経営という情報の流れも含まれている。
    • スキップレベル 1on1 や社長とマネージャーの間の 1on1 の効果も数理的にわかるかもしれない。
  • 階層からネットワークへ(トポロジーの変化)
    • 現実の組織や社会は完全な階層構造ではない。
    • 職能別組織・事業部制組織・マトリクス組織・ハイブリッド組織という違いで何か結果が変わるかもしれない。
  • コミュニケーションパスの距離や無段階化、パスでなく二次元・三次元的広がり(エッジの変化)
    • 「説明」する人と「説明」を受ける集団との心理的・物理的距離が一様でないパターン。
    • 音・波のように発信点から減衰しながら周囲に伝わっていくパターン。
  • 異動や組織改編(動的な組織)
    • 人の出入りがある中では「説明」の前の「理解度」が多様になっている。
    • 継続的な「説明」をしないと平均的な「理解度」を維持できない。
  • 偽情報・忘却曲線(負の理解変化)
    • トップ(社長)の意図を中間層(マネージャー)が間違って伝えてしまって混乱するケース。
    • 1 回聞いただけではしばらくして忘れてしまうようなケース。
  • 受け手の時間の効率化(コスト・費用対効果)
    • 今回は「説明」する人のコストや「回数」の少なさを重視していた。
    • 「説明」を受ける「集団」のコストも少なくしようとすると何か結果が変わるかもしれない。
  • 「説明」の上手さ・情報ロス(モデルの変更)
    • 感覚的には、1on1 で丁寧に「説明」しても 100% 伝わることはない。
    • 自分の「理解」を 100% 説明することもできない。
  • 複数の構成要素からなる理解(モデルの変更)
    • 抽象的な事柄や実際的な事柄では「理解」の構成要素は複数あると思う。
    • 関係者の過去の経験の違いによって「理解」しやすさに違いが出ることも多い。
  • 「理解」の多様性や「理解」の発展(モデルの変更)
    • 「理解」は独自に発展して多元的になる場合もあるだろう。
    • 「説明」する人は自分が「説明」することで「理解」を深められる。
    • トップ(社長)自体も最初は「理解度」は低いかもしれない。「説明」やフィードバックを受ける中で「理解」を深めることもあるだろう。
  • 理解の早い人と遅い人(モデルの変更)
    • 「説明」による「理解度」の向上は一律でないはず。
    • 過去の経験や構成要素の充足だけでなく、要領の良し悪しによっても異なってくるだろう。
  • 「√(ルート)の法則」の回数が最善の説明方法をとった場合の回数であった場合(モデルの変更)
    • シミュレーション上、トップ(社長)からは最小で 4 回ほど伝えただけで全員が理解に達した。
    • 法則の別の見方として、トップ(社長)社長からのアクションが 110=11\lceil \sqrt{110} \rceil = 11 回必要となるような伝わり方が必要ではないか。
    • 理解を妨げる要素が無いシミュレーションであるため、実際より低い回数で終了した可能性はある。

まとめ

  • 「√(ルート)の法則」を数式化した。
  • これを元に Python でシミュレーションを行った。
  • 特に、情報の浸透における中間管理職の重要さと必要性が数理的にも補強された。